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戦争はなぜ繰り返されるのか 終戦74年 講演会


登壇者

2019年07月20日

広岩 近広 氏

毎日新聞 記者

1975年に入社。大阪社会部や「サンデー毎日」で事件と調査報道に携わり、2007年から原爆や戦争の取材と執筆を続け、現在、客員編集委員として大阪本社発行の朝刊でルポ「平和をたずねて」(第22回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞)を連載中。

講演5

 

戦争の起源は、人類の歴史のなかでは最近のこと。

講演1

長年、事件記者をやってきた私は、毎日のように殺した者、殺された者をめぐる取材をし、記事を書いていました。そのなかでオウム真理教という宗教団体が詐欺的商法をしているとの情報を得ます。
そして、取材活動のなかで色々なアドバイスをもらっていた坂本弁護士とご家族が殺される事件が起きました。地下鉄サリン事件では大勢の人が亡くなりました。

この頃から、戦争こそ最大の殺人事件ではないかと思うようになり、なぜ戦争が起きるのか? それがなぜ続くのか?といった疑問に突き動かされ、歴史を学びながら取材を始めました。

戦争責任をとらないと新聞社を辞め、郷里でミニコミ誌を出版していた元朝日新聞記者の方が、こう教えてくれました。

人類の歴史のなかで戦争が出てくるのはつい最近。狩猟時代は、自分たちを狙うどう猛な動物を恐れて人間は助け合って生きていた。農耕生活が始まり物を作るようになると、たくさん作った人は富を築き、権力を持ってくる。すると権力の範囲を広げようとする。それが領土、国になっていき、人類は戦争を始めていったのです。

 

領地を必死に守る。それが、やがて戦争へ。

講演2

『日本の領土の歴史』というムックによると、鎌倉時代の武士は、一ヵ所の領地を必死に守ることで貢物をもらったり、労働力や権力を得て力をつけた。この一カ所を守ること、つまり「一所懸命」が「一生懸命」の語源だそうです。

隣り合う者同士が自分の領地を一生懸命に守る。その過程で利を同じくする個人が集団となり、集団が規模を拡大して領地ができ、さらなる領地を求めて戦争が繰り返される戦国時代になりました。

やがて豊臣秀吉が天下を統一します。これで戦争は終わったと思ったら、なんと朝鮮出兵です。

幕末には、尊王攘夷の中心となって人を育てた長州の吉田松陰がこう言います。「取り易き朝鮮、満州」。その門下が長州藩の伊藤博文や山縣有朋でした。山縣は後に日本の陸軍を作った人。伊藤は首相になります。軍部の中枢に座った山縣は、「主権線は日本の国土。主権線を守るために必要な利益線は朝鮮半島」と断じました。豊臣秀吉から吉田松陰、その門下へと同じ方向性が受け継がれていったんです。

明治時代には政府軍ができました。民衆が集まったフランス革命の政府軍とは異なり、長州や薩摩などの武士が集結した軍です。この軍隊は会津などで要人を焼き殺し、略奪や拉致監禁をしたのです。もともと同じ幕府軍にいた人たちなのに、戦争ではここまで憎みあわないといけないのかと思います。

と同時に、日本の軍隊誕生を語るときは、会津の悲劇をしっかり教えないといけない、と私は思っています。

 

武士の「尚武思想」が、軍事体制を強化。

封建制度下の武士は、武士を尊敬させ、武を尊重させました。それが武士の「尚武思想」です。明治維新のリーダーたちは、その武士出身です。軍人の尚武思想は、武力尊重と軍隊尊重思想になるので、結果として軍備拡張に繋がります。武士たちがつくった維新の政府が、最初から軍国主義の道を突き進んだのは、武士ゆえに必然的だったといえます。それが尚武思想でした。

武力で政権を奪うと、その権力を拡大するために軍隊ができ、軍事国家になっていく。大日本帝国憲法ができるのは明治22年。しかし明治5年には軍隊が確立されていたのです。

大日本帝国憲法は、天皇のもとでの軍の体制を強化する憲法です。天皇を大日本帝国の元首、そして陸海軍を統率する大元帥にし、軍はその権威を最大に活かしました。

同じ時期に軍人勅諭や教育勅語もできます。軍人勅諭とは「上官の命令は天皇の命令」、だから絶対に逆らえない。そして「いったん戦争になったら天皇陛下のために命を捨てる人間になりなさい」と、教えるのが教育勅語です。

 維新政府に、国民を従わせる力がなかったので、天皇の名によって詔勅や詔書を発布して、国民に国家の方針を伝えました。そうして国民の教化を図ったのです。

 

戦争が、新たな戦争を生む繰り返し。

講演3

一カ所を守る「一所懸命」を「一生懸命」にして、獲得して広げた領土を守る、それを担った武士が国土を守る軍隊になる。植民地を求める帝国主義の時代になると、軍隊は外征の軍になる。こうして軍事国家の体制がどんどん進んでいきました。

以後、日本の政権の頭に常にあったのは、主権線を守るための利益線である朝鮮半島です。そして朝鮮半島で内乱が起きたとき、日本軍は清国軍が出てくるのを計算済みで出兵し、清国と戦争。利益線を守るために軍事強化をしてきた「尚武思想の軍隊」は、勝利を得ます。

ここで台湾と遼東半島を取り、賠償金も当時のお金で3億円でした。国家予算の4倍です。政府も軍部も国民までも「戦争に勝ったら領土もお金も取れる」と認識しました。

言論も後押し。福沢諭吉は日清戦争を「文明と野蛮の戦い」とし、毎日新聞の前身の東京日日新聞も「なるべく決戦を急がんことを押す」。皆が戦争を肯定したことも見逃せないことです。

しかしロシアから警戒され、ドイツ、フランスを加えた三国干渉によって遼東半島を返還することになりました。このときからロシアへの復讐が国の方針になり、ロシア戦に備えた軍備増強が進みます。

ドイツの詩人、シラーは「戦争は戦争を養う」と言いました。戦争は次の戦争の原因を作るという意味。日清戦争も日露戦争の原因を作りました。繰り返したくなくても繰り返していくのです。

国民も新聞も戦争を支持し、軍事体制がさらに強まっていく。

日露戦争に突入した日本は、厳しい戦いを強いられますが、ロシアで革命が起きたおかげでかろうじて勝利します。ところが賠償金を取れなかったため国民はカンカンに怒り、日比谷公園の焼き打ち事件や警察官舎の襲撃など暴動を起こしました。

国民の声を代弁したのが大阪の朝日新聞です。一面に髑髏(されこうべ)の木版画「白骨の涙」を載せ、「中国大陸で死んだ兵士は泣いてるぞ」と訴えたのです。こうした状況を見て軍部は強気になったかもしれません。「国民はここまで熱狂するんだ」と。

政府は国民の怒りを国外に向けさせるため、韓国に矛先を向けました。日露戦争のときから「韓国の独立を守るなら、日本の軍隊が韓国で自由に動けるように」と迫って傀儡的の国にしていましたが、日露戦争後には遂に併合してしまいました。豊臣秀吉が出兵、吉田松陰も同様の考えを持っていましたが、とうとう明治の軍隊はここまでやってしまったのです。

戦争は次の戦争を生む。韓国を取ったら、それを守るために中国を視野に入れます。そうして今度は第一次世界大戦に参戦します。

同盟国のイギリスから「ドイツの艦隊がヨーロッパに来ないようにしてほしい」と頼まれた日本は、これに喜んで飛びついてドイツが占領していた中国の山東半島を奪ったのです。そして中国には「この土地を日本に譲れ」と、際限がなく迫っていきます。

強気で行く。すると国民は支持するから軍隊費が取れ、軍事政権が維持できる。軍事政権維持は、戦争と一体になっていったのです。

 

無責任な強気だけが蔓延していった……

戦争1

その後、日本はシベリアにも日本の言うことを聞く自治政府を作ろうとしましたが、パルチザンという民衆の抵抗に遭って苦しめられます。ベトナム戦争時のゲリラと同じ有様でした。

この頃、戦後に総理大臣となる石橋湛山は警告を出しています。「満州、台湾、朝鮮、樺太は、取ってもそれが戦争のもとになる。日本が他国から脅かされることはない。シベリアや朝鮮を垣根だと考える方が、むしろ危険。火事のもとだ」と。

しかし、事態は石橋の警告とはむしろ逆の方向に。この頃は軍隊を抑えていた長州閥の人たちがいなくなり、強気であれば体制を維持できるとばかりに、軍部はますます強硬になっていきます。朝鮮半島で勝手な事件を起こした軍人は言い逃れて、むしろ軍部の中枢におさまります。また陸軍大学校出の軍事官僚が台頭して、軍隊を牛耳っていきます。

そしてついに中国の東北部に展開する関東軍が、政府の許可もなく勝手なことをします。満州を支配していた張作霖を列車ごと爆破します。さらには1931年9月、柳条湖近くの鉄道を爆破して、それを中国人がやったことにして戦争をしかけたのです。これが満州事変です。

この一件でも責任者は言い逃れ、むしろ傀儡の「満州国」を作った以上、守らなければならないと軍事力を強化します。満州国を認めない国連に対抗して、日本政府は脱退します。新聞はこれを後押しし、大阪毎日新聞も東京日日新聞も、「満州国は日本の領土だ」とニューヨークタイムズに全面広告まで出したのです。

日本国内では、天皇中心の国体至上主義を信奉する皇道派と、統制派の派閥抗争が強まります。その結果、二・二六事件が起き、過激な派閥が台頭していきます。

満州事変を起こした軍人の石原莞爾は「これ以上、戦争を拡大したらいかん」と訴えますが、部下たちは「あなたは満州事変のとき、拡大しようとした」と譲らない。
過激な派閥は生き残り、無責任にも「強気、強気、強気」でいき、国民からも異論は出ず、強気でいくという空気が蔓延していきました。

 

細かな責任逃れ、他人任せの積み重ねが。戦争に繋がっていった。

講演4

日米開戦前、海軍は「アメリカの海軍には勝てない」と漏らしています。しかし日本海軍は無敵だと言ってきた手前、公には本音は言えない。近衛文麿首相に任せるも簡単に応じず、結局投げ出してしまった。

その後を継いだ東條英機は、「日米開戦を考え直しなさい」と天皇に言われても、二・二六事件のトラウマもあって「戦争を回避したらあのような事件が起きる。戦争では国は滅びないが内乱によって滅びる」と逃げて、戦争回避に踏み切りません。戦争への流れを止めるだけの胆力がなかったのです。

 陸軍もまた、アメリカの要求通り中国や東南アジアから撤兵したら、軍の士気を下げ、将校たちに反乱の機会を与える、と。もうやけっぱちみたいに開戦に向かいました。

それまでに大きな敗戦がなかった軍は、勝利を叫ぶことができ、軍事官僚は傲慢になり、軍事の拡張と組織の増量も続いていました。

また、陸軍は「ドイツが勝てば日本が有利になる」とドイツを過信してドイツ任せ。一方でアメリカとの戦いは海軍任せという意識が強い。海軍は弱気を見せたくないから反対しない。

そうした細かい責任逃れの積み重ねが戦争に繋がっていき、本気でこの国のことを考える人材がいなくなってしまった。強気の軍人と官僚が組織を牛耳り、組織を守るためには戦争への道を閉ざせなくなっただと思います。

日本の戦争は、権力闘争で勝利した、小粒の軍人と官僚によってなされたのではないでしょうか。

 

国民には困難を強いる、戦略なき成り行き任せ。

実際、国民に対する責任感は、何もなかった。あるのは、「敗戦によって国は滅びないけど、革命によって国は滅びる。戦争を回避して混乱を招くなら、戦争をする方がまし」という戦略なき、成り行き任せです。

 それどころか「戦争を軍隊だけでやるのか」と、国民にとんでもない我慢を強いる。国家総動員法ですね。名前からしてびっくりですが、戦争になったら何でも動員できる法律です。ついには兵士として若い人がどんどん取られた。すると本土に人がいなくなる。アメリカの日本上陸に備えて少年戦争兵を作り、女性は竹槍を持ち、訓練する。健康で腕自慢の女子を選ぶために、なんと女子も徴兵検査を受けさせられたのです。

自分の責任逃れを続け、取らなければいけない責任を先延ばしする。そうして戦争が長引いていきました。

新聞も太平洋戦争では大本営発表以外、書けませんでした。それどころか世論指導方針を与えられ、国民が戦争に協力する論調をつくるよう強制されました。毎日新聞の社説でも、特攻隊員たちを神様にする賛美の書き方をしています。メディアにも戦争に対する罪があると思います。

 

「敗戦という責任」を先延ばしするために、戦争を長引かせた。

戦争2

明治維新で政府軍ができ、戦争をしないという選択肢を失った。そして戦争が戦争を養う。それを繰り返すことで政権や軍部を維持させる。戦争を拡大させることで、軍部の指導者たちは生き延びる。生き延びるために戦争を続ける。これが敗北の原因です。

太平洋戦争にいたっては、勝ち目がないから、敗戦による責任を先延ばしして、国民には「いかに死ぬか」を語り、「特攻」で国民を自分たちより先に死に追いやる。

たとえ戦争回避の意見が出ても「お前は弱腰だ」。同時に「弱気では国民が納得しないだろう」と国民のせい。もう泥沼です。

真っ当な人たちを抑えつけ、強硬な人が残っていきました。ついには強硬な人たちが無責任を極めて「一億玉砕」と言い出す。これが日本の戦争でした。

 

地球温暖化の解決に向け、狩猟時代のように協力し合うとき。

ところでアメリカが戦争をするのは、これまで戦争をしてきて軍部、官僚、軍事産業が複合体となり、戦争が国家ビジネスになっているからです。核兵器も作れば儲かるから、なくならない。戦争をしないときは武器を売りまくる。日本も次々と買い、今後も買わされるでしょう。

そうした国が強気のトランプ大統領を選んだ。世界情勢は穏やかではなくなってきていると思います。

冒頭で、狩猟時代はどう猛な動物に食べられないために、人々が助け合っていたから戦争がなかったとお話しました。その時代に帰るべき、という人がいましたが、ここで私が思うのは、地球環境です。

とくに温暖化については、人類が狩猟時代のように協力し合わない限り解決できないと思っています。今度は地球を守るために一緒になる。核兵器なんか作っている場合じゃない。そういう声を上げるリーダーをつくり、自分たちも声を上げていかなければ、と思っています。

戦争は大量殺人事件です。温暖化を人災とみれば、大災害による大勢の犠牲は、大量殺人ではないかと思ってしまいます。


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