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小惑星探査機はやぶさ2 帰還の舞台裏
2020年12月19日
永山悦子 氏
毎日新聞社 編集委員
1991年毎日新聞社入社。和歌山支局、前橋支局、東京本社編集総センター、科学環境部など経てオピニオングループ編集委員。はやぶさの帰還をオーストラリアで取材した。
※2021年4月以降の経歴
医療プレミア編集部兼論説室
1991年入社。和歌山支局、前橋支局、科学環境部、オピニオングループなどを経て、2021年4月から医療プレミア編集長兼論説室。
2010年に小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還をオーストラリアの砂漠で取材した。はやぶさ2も計画段階から追いかける。ツイッターは、はやぶさ毎日(@mai_hayabusa)。医療分野では、がん医療や生命科学の取材を続ける。
待ちに待った、はやぶさ2のカプセルが地球に帰ってきた
先代のはやぶさの取材からスタートして、15年ずっと、はやぶさとはやぶさ2を追いかけてきました。映像は12月6日未明、オーストラリアの上空に帰ってきた、はやぶさ2のカプセルの火球です。地上から約100kmの高さから光り始めます。尾を引くように徐々に高度を下げて、オーストラリアの砂漠に向かって降りてきます。火球の状態になるのが高度100kmから高度30~40kmまでで、そのあたりまで降りてくると光が消えて、このあとカプセルからパラシュートを開いて、ゆったりと砂漠に降りていきます。
次の日、ヘリコプターに乗ったメンバーがカプセルを探しに行くと、すぐにパラシュートが見つかりました。はやぶさ2のカプセルが帰ってきたオーストラリア南部のウーメラ近郊の砂漠地帯は、日本の四国と同じぐらいの広さがあります。日本にはこのような広い場所がないため、カプセルなどを降ろすことは危険だからできません。民家も何もない、荒涼とした砂漠地帯があることによって、オーストラリアに降ろすことになりました。
カプセルは防護服を来たメンバーによって無事回収されました。なぜ防護服が必要かというと、カプセルを切り離すときや、パラシュートを開くときに火薬を使うからです。火薬の成分が一部でも残っていると、近づいたときに爆発して大変なことになるかもしれません。防護服でカプセルの安全処置をします。
さらに、今回は、オーストラリアの現地に特別な実験室を作りました。カプセルの中に気体、ガスが入っているかもしれないということで、現場でできるだけ地球の空気などが入り込む前にガスを採取しようという特別な施設でした。はやぶさ2の試料が入っている「サンプルコンテナ」という容器の中を調べたところ、ガスが入っていることが分かりました。
はやぶさ2が宇宙空間を旅しているときは、ふたが空いた状態です。ということは、中は真空になっています。はやぶさ2はリュウグウに着陸して、試料を採取したと思われます。そしてリュウグウを去る前にふたを閉めています。そのカプセルの中にガスがあるということは、地球のものではなく、リュウグウのものが入っていて、その粒からガスが発散されたのではないか。そして、中にはリュウグウの物質が入っている可能性が高まったという、とてもうれしい情報でした。
カプセルのふたを開けるとたくさんの希望が詰まっていた
12月8日にはカプセルが日本に帰ってきました。相模原市にあるJAXA宇宙科学研究所の様子です。カプセルが揺れて中の粒が壊れてはいけませんから、精密機械を運ぶトラックで運ばれました。はやぶさ2のプロジェクトチームの皆さんは万歳をして、大漁を願う大漁旗を掲げて迎え入れました。
14日には、サンプルコンテナ、容器の底の部分に、黒い砂のような物が入っていることが分かりました。これはリュウグウのものに違いない。コンテナのふたを開いたら、どっさり砂粒が入っていました。リュウグウは炭の塊の小惑星と考えられており、砂粒の色は炭のように真っ黒で、これがリュウグウの色だと考えられます。さらに、全部で5.4gもあったことが分かりました。5.4gは、はやぶさ2が持ち帰ってほしいと想定していた量の54倍、つまり0.1gを持って帰ってきたら大成功とプロジェクトは思っていたのですが、50倍以上も入っていたことが分かりました。
他の天体から物を持って帰るのは非常に難しく、先代のはやぶさのときは、2010年にカプセルは無事帰ってきましたが、CTを通しても何も見えない状況でした。「やっぱりうまく採れなかったのかな」と考えたメンバーが、へらで側面をこそげてみたところ、へらの先を目で見ても何も見えません。続いて電子顕微鏡で見たところ、小さな小さな微粒子が並んで付いていて、小惑星イトカワの物質が採れていることが分かったのです。これまでにイトカワの微粒子は1,500個ピックアップされており、今も拾い続けているそうです。そんなに時間がかかっているのはなぜかというと、小さい粒のためそれを取るのだけでも一苦労だからです。今も、はやぶさの微粒子を分析する作業が続いています。
さらに、はやぶさ2のカプセルから粒子を1つずつ取り出して、どんな大きさか、どんな重さかというカタログを作る作業が、これから始まります。
私とはやぶさとの出会い
私は2005年4月から文部科学省で、科学技術政策の取材を担当することになりました。文部科学省を担当すると同時にJAXAや宇宙開発の担当にもなりました。4月の段階では、はやぶさという探査機が日本から飛び立ち、小惑星を目指していることを知りませんでした。ある日、ニュースが飛び込んできました。「はやぶさが小惑星イトカワに着いた」というニュースで、そこではやぶさという探査機の存在に気付いたのです。そこから慌てて取材を始め、日本が小惑星に探査機を飛ばしていて、そこから物を持ち帰ろうとしていることを知りました。
NASAも難しいと言ったミッションに挑戦した実験機はやぶさ
はやぶさとはどんな探査機だったか。まず、申し上げたいのは、はやぶさは「実験機」だったということです。世界初の小惑星サンプルリターン計画でした。当時は、アポロが月に人を送り、バイキングが火星に行き、ボイジャーが太陽系外を目指すという、人類のフロンティアを次々と切り開いていたアメリカのNASAでも、「地球から小惑星へ行って物を採取して地球に持ち帰る」なんてミッションはできるわけがない、と考えるほど難しい挑戦でした。それに無謀にもチャレンジした日本人たちがいた、というのがはやぶさでした。
はやぶさは2003年に打ち上げられ、7年間かけて総航行距離60億kmの旅を完遂しました。その旅は、非常に苦難に満ちたものでした。チャレンジングな探査機ですから、トラブルが次々に起こりました。探査機の姿勢を保つために欠かせない姿勢制御装置が相次いで壊れ、それを補うためのエンジンもすべて壊れました。
はやぶさはイトカワに2回着陸しました。岩石を採るためには、弾丸を小惑星の表面に打ち込み、そこから跳ね上がったり、舞い上がったりしたものを採取する仕組みでしたが、2回目の着陸後に弾丸が出ていなかったことが分かりました。2回目の着陸のあとには、通信が途絶してしまいました。探査機と通信できないということは、探査機を失ったも同然でした。
そういう状況から奇跡的に復活して地球へ帰ろうとしたのですが、帰還の7カ月前にメインのエンジン、イオンエンジンがすべて止まってしまいました。それも何とか乗り越えて、2010年6月に地球へ帰ってきました。
はやぶさの帰還を現地で待つメディアは少なかった
幸運なことに、私ははやぶさ帰還の取材にオーストラリアへ行くことができました。2010年にウーメラへ行ったメディアは、新聞社が数社とNHKだけでした。それ以外のメディアは来ませんでした。つまり、はやぶさは、それくらい注目をされていなかったのです。私のようにはやぶさに魅せられた人だけが現地へ足を運び、一般の方はあまり知られていなかったのが、はやぶさが地球へ帰還した2010年6月13日時点の状況でした。
しかし、オーストラリアの砂漠にはやぶさの機体が燃え尽きながら帰ってきて、その中からカプセルが地球へ届けられる――。そんな感動的なシーンが報道されると、日本でも非常に注目が高まりました。その後、そうそうたる方々が出演する、はやぶさの映画が4本も作られました。
実際、はやぶさはすごかったのです。NASAすら難しいと考えていた小惑星サンプルリターン探査に挑戦し、成し遂げた、人類初の功績です。さらに、トラブルが非常に多く起きたのに、それらに対してプロジェクトは「こんなこともあろうか」と、次々と対策を練りだし、乗り越えました。日本の宇宙開発は、確実に成長していきました。
深宇宙探査では、人は探査機に手が届かず、壊れても直してあげることはできません。何億kmも先にいるものを、コンピューターや電波を使った通信によって動かし、調節しなければいけない。そんな難しい調節を、はやぶさのメンバーはいくつものトラブルに対してやり遂げました。それは結果として、一般の人たちに宇宙探査の意味や面白さを伝えてくれることになりました、その功績は非常に大きかったと思っています。
しかし、その裏で、はやぶさ2の実現は非常に困難を極めることになりました。
次の取り組みにつなげるためはやぶさ2の実現を応援
はやぶさ2は、2006年に提案されています。2006年は、はやぶさがまだイトカワの近くにいて、復旧作業、すなわちトラブルがいろいろとあって地球に帰れるかどうかよく分からないという段階でした。なぜそんなときに提案したのかというと、はやぶさは「実験機」だったからです。つまり本番として、小惑星サンプルリターンの技術を確実なものにするためには「本番機」がいると、プロジェクトチームは考えていました。だから、はやぶさ2を提案したのです。
政府にとってみれば、はやぶさも帰ってくるかどうか分からない、大失敗の探査機かもしれないのに、なぜ「二番煎じ」の「コピー」のようなミッションをやらなければならないの? そんなものに予算はつけられないよね、という反応でした。同じ宇宙科学の仲間、科学者からも反発が起きました。
なぜかと言うと、はやぶさは、これまでアメリカがやったこともないような、工学的な挑戦をしようと考えた工学者たちが提案したものだったからです。具体的には、宇宙工学の精鋭だった川口淳一郎さんたちがアイデアとして出したものでした。
一方、宇宙科学、サイエンス側の人たちには、自分たちがやりたいことがあるわけです。科学衛星を打ち上げて天体観測をするとか、科学衛星をどこかの天体に行くなら月へ行ったほうが面白そうだとか、そんな思いを持っている科学者が少なくありませんでした。そんな不満があるなか、「なぜ川口グループだけが連続して予算がとれるのか。自分たちの意見が反映されていないじゃないか」という反発があったのです。
さらに、日本の宇宙開発の予算はアメリカやヨーロッパに比べてすごく少なく、その少ないパイをみんなで奪い合う状況です。プロジェクトとして実現するのは、だいたい1グループ当たり10年に1回程度、それも「実現できればラッキー」という環境で、予算の奪い合いが日常茶飯事でした。
当時の民主党政権は、2010年にはやぶさが帰ってきた後、「これは面白そうだ。日本の長所、特徴として売り出していける」として、はやぶさ2開発のため、2011年度予算に30億円を認めました。ところが、2011年3月に東日本大震災が起きます。宇宙探査よりも復興支援が優先されることになり、2012年度予算では3億円まで減らされました。しかし、はやぶさ2は2014年に打ち上げるという目標がありました。予算が付かない中、大変な思いをして開発していったことになります。
私は、はやぶさ2を確実に上げなければ、はやぶさで培った経験が無に帰してしまうのではないか、はやぶさ2を次の時代、また次の新しい野心的な取り組みにつなげるべきではないかと思い、応援しなければと思いました。
そこで、2014年から毎日新聞のウェブサイトに、はやぶさ2の話題を集積するページを作ってもらい、『はやぶさ毎日』というツイッターも始めました。
はやぶさ2の打ち上げは2014年12月3日でした。私は、絶対に取材に行こうと心に決めていました。毎日新聞は少数精鋭主義を貫いており、出張に複数の記者が行くのは許されないというのが今までの常識でした。これの写真は、はやぶさ2打ち上げの時の現地での写真です。なんと3人もいます。1人は科学環境部の担当記者、もう一人は論説委員。それぞれ紙面用の記事や社説を書くための出張でした。私がどのようにして行ったか。休みを取って行ったのです。
それなのに、天候が悪く打ち上げが1週間も延びてしまいました。職場に平身低頭お詫びをしながら、打ち上げまで休みを延長し、なんとか見送ることができました。
なぜ小惑星が注目されているのか
この後、はやぶさ2の旅について振り返ってみたいと思います。まず、なぜ小惑星に行くのでしょう。日本は、まだ火星にも、木星にも、土星にも行ったことがありません。それなのに、小さな小惑星へ行って何の意味があるのか、と思われるかもしれません。
地球など大きな惑星は、太陽系ができたときに小さな石ころのような微惑星が、何回も何百回も衝突して、割れて、さらに内部がドロドロに溶けて、最初の小さな微惑星のときとは変質してしまっていると思われています。つまり、サラダでいうと「温野菜状態」です。
一方、小惑星は、衝突したり溶けたりという変化をあまり経験していないのではないかと考えられています。フレッシュな「生野菜」に近い状態なのではないかと考えられています。小惑星には、46億年前の太陽系が誕生したときの性質、状態が残っているかもしれないのです。
はやぶさ2が目指したリュウグウは、C型小惑星と言われています。C型はカーボンの意味で、炭素や有機物、水が多く含まれている可能性があると指摘されています。そこの物質を持って帰って調べれば、太陽系の誕生とか地球の命、私たちや、水、海の材料になった物質を見つけられるかもしれない。小惑星に注目が集まっています。
行ってみて初めて分かることがある、行ってみなければ分からないことがある
2014年に打ち上げられたはやぶさ2は、2018年にリュウグウへ到着しました。そのあと小さなロボットを切り離し、リュウグウ表面に展開させ、2019年2月には最初の着陸、4月には人工クレーターを作る衝突装置実験、7月に2回目の着陸を成功させ、昨年の11月13日にリュウグウを出発して、今月6日、カプセルを地球へ帰還させたというのがミッションの概要になります。
はやぶさ2が到着したときのリュウグウは、地球から見ると太陽の反対側、地球から3億kmも離れたところにありました。3億kmも離れたところにある直径900mの星に到着するのは、日本からブラジルにある6cmの的に当てるような精度が求められます。
プロジェクトの皆さんが到着したときの言葉が印象的でした。「リュウグウがそこにあってよかった」というのです。地球からリュウグウの観測はしていましたし、きっとそこにあるだろうと推測はできるそうなのですが、未知の天体ですから、行ってみないと分からない、行ってみて初めて分かることがあるというのです。「そこにリュウグウがいてくれてありがとう」という思いだったそうです。
はやぶさ2が到着するまでは、リュウグウはじゃがいものような形だと思われていました。しかし、実際はそろばんの玉のような形をしていました。全然形が違いました。これも行ってみて初めて分かることです。さらに、リュウグウは岩だらけでした。表面に平らなところがなかったのです。
デコボコのリュウグウを見たとき、プロジェクトマネージャーの津田雄一さんは、「リュウグウが牙をむいた」「神様、なんて意地悪な」と言いました。はやぶさ2の運用を取りまとめるプロジェクトエンジニアの佐伯さんは、「なんでブルドーザーとショベルカーを持ってこなかったのだろう」「金だわしでこすってやりたい」という、本音が思わず出てしまうほどの岩だらけの地形でした。
なぜ岩が邪魔かというと、はやぶさ2は機体の底面から約1メートル伸びている筒を小惑星の表面に設地させ、弾丸を打って、跳ね返ってきた物質を採取する、という着陸法だからです。サンプラホーンの先端から機体の底までの間の高さの岩であれば問題ありませんが、それよりも高い岩があると、岩が探査機の底面がぶつかってしまったり、太陽電池パドルが当たって壊れてしまったりして、探査機を失う可能性がありました。だから、高さ70cm以上の岩があると着陸できない状況でした。
はやぶさ2は当初の設計では、小惑星にせめて100m四方の平らなところがあれば着陸できる性能があると考えられていました。しかし、そのような広い平らな場所が全くありませんでした。
なぜ、プロジェクトチームは「あるだろう」と思ったかというと、これまで人類が見てきた小惑星には、必ずそれぐらいの広さの平らな場所があったのです。はやぶさが行ったイトカワにもありましたし、NASAが探査した小惑星にも平らなところはあった。だから小惑星には平らなところがあるに違いないという思い込みでリュウグウを訪れたところ、予想が見事に外れたわけです。
ミネルバが撮影したリュウグウの姿
着陸に向けた検討はかなり難航します。その間に、はやぶさ2はミネルバ2というロボットを小惑星へ降ろしました。はやぶさも同じような小型ロボット「ミネルバ」を積んでいました。はやぶさは、ミネルバをイトカワに落とそうと切り離したのですが、分離するときの速度を間違えてしまった結果、ミネルバはイトカワに到達できず、そのまま太陽系の「藻屑」になってしまいました。
はやぶさは、トラブルはあったものの、最終的にイトカワの物質を地球へ届けることができたため、「大成功」と思われています。しかし、ミネルバについては失敗でした。ですから、私は「ミネルバ2は、ぜひ成功してほしい」と思っていました。
そのミネルバ2が無事にリュウグウの表面に到達し、リュウグウの表面で撮った画像がこちらです。太陽が輝くもとで、リュウグウのゴツゴツした表面をミネルバが撮影している画像です。これを見ただけで、「ミネルバ2、おめでとう」という気持ちになりました。
ミネルバ2の中には弾み車が入っていて、一定の時間が経つとそれが回ります。リュウグウ表面は重力ほとんどありませんから、中で回転した勢いで跳ねるのです。自分でピョンピョンと跳ねて移動しながら、カメラで撮影し、そのデータをはやぶさ2へ送ります。ミネルバ2は計画通りに機能し、大成功に終わりました。
着陸の鍵を握ったピンポイントタッチダウン
最初の着陸のポイントになったのが、ターゲットマーカーの投下でした。ターゲットマーカーはソフトボールぐらいの大きさで、表面を反射材で覆われていて、フラッシュをたくと、ピカピカ光ります。はやぶさ2は灯台のように、それを目印に着陸しようというプランでした。
どうしてターゲットマーカーが必要かというと、はやぶさ2と地球は3億kmも離れていますので、電波が届くのに片道20分もかかるからです。もし、はやぶさ2が困ったことに直面して、「どうしたらいいか教えて」と地球に対して問いかけをしても、返事が届くまで往復40分もかかります。ですから、リュウグウ表面に近いところにいるときは、はやぶさ2は自分で判断して自分で動くようになっています。ロボットのようなものと考えていただければ良いと思います。
ターゲットマーカーを目印に、地球から事前に送られた指示に従って自ら動く。はやぶさ2を正しい場所へ導くのがターゲットマーカーでした。最初に切り離したのが2019年10月でした。はやぶさ2のカメラで撮影した画像を見ると、落ちていったターゲットマーカーをはやぶさ2がカメラで捕捉できている、捉えられていることが確認できました。これはプロジェクトチームにとって朗報でした。
なぜかというと、ターゲットマーカーを捕捉し続けることは、はやぶさ2がリュウグウの狙った場所へ精度よく着陸する「ピンポイントタッチダウン」という着陸法を実施するときに欠かせない技術だったからです。当初は、ターゲットマーカーを切り離し、そのままターゲットマーカーをカメラで追って、落ちたところへ着陸するという計画でした。ターゲットマーカーから目を離さないため、間違いなくターゲットマーカーを追いかけることができます。ただし、この方法では、ターゲットマーカーが落ちた場所が岩だらけだった場合は、着陸できなくなってしまいます。
プロジェクトチームは、事前にターゲットマーカーを落として、周辺の地形を詳細に調べて、狭くてもいいので平らな場所はないかを探しました。ターゲットマーカーを正確に捕捉できるということは、狭い場所であっても探査機を誘導できる可能性が高まります。
事前に落とたターゲットマーカーの周辺の状況を調べて作戦を立て、改めて落としてあるターゲットマーカーを見つけて、ピンポイントで着陸する。そんな「ピンポイントタッチダウン」をやることになりました。小さな小惑星といっても直径900mもあり、表面に転がっている「ソフトボール大」のものを見つけるのは難しい挑戦でしたが、狭い場所へ着陸するには、それしか方法がありませんでした。
安全な着陸をするためプロジェクトチーム執念の作業
プロジェクトチームは、ターゲットマーカーを追いかけて着陸する方式を「練習問題」、ピンポイントタッチダウンを「応用問題」と位置付けていました。1回目の着陸では、練習問題を確実に実施して、次に応用問題へ進もうと考えていたのですが、いきなり応用問題に挑戦することになりました。
10月に落としたターゲットマーカーの周りを調べてみると、二つの平らに見える場所がありました。どちらに降りるべきか。赤いの方が、直径12mほどあって広いですが、ターゲットマーカーからは遠い。緑のほうが近いものの直径6mほどしかなく狭い。はやぶさ2の大きさは6mぐらいです。もし、緑のほうを選ぶと、かなりの高い精度で降りなければなりません。
そこで、周辺にある岩や石の高さを片っ端から調べたのです。太陽の光が当たると岩の影ができます。太陽光の角度はリュウグウの位置から分かりますので、影の長さを1個ずつ全て測って、それぞれの岩の高さを計算しました。やはりプロはすごいです。1個1個の影に定規を当てて測ったというのです。「なんてアナログだ」と思われるかもしれませんが、それぐらいの執念を持って安全な場所を探したわけです。
1回目の着陸は、このように進めました。はやぶさ2は、光っているターゲットマーカーを捕捉します。そしてターゲットマーカーに向かって徐々に降りていきます。ターゲットマーカーが視界から外れないように少しずつエンジンを噴いて調節します。小惑星は自転していますから、はやぶさ2はターゲットマーカーを追いかける形になります。続いて、小惑星の表面に平行になるように機体の向きを変え、さらにターゲットマーカーから、平らな場所がある6mほど離れた場所へ移動します。ターゲットマーカーを横目で見ながら動く、という運用をしたわけです。最後に、後ろ側に少し大きめの気になる岩があったため、ぶつからないようにお尻側を上げて着陸しました。そういう計画でした。
実際どうだったかと言いますと、「一瞬」、つまり1秒ほど「ポンッ」と表面に試料採取装置の先端を付けた後、すぐに浮上しました。そのときに撮影された画像を見ると、リュウグウの表面の物質がまるで花吹雪のように舞い上がっていました。プロジェクトチームは、「リュウグウにお祝いをしてもらっているようだった」と感激していました。そして、目的の地点からわずか1mずれただけの場所に着陸成功できたことが分かりました。1回目で、日本からブラジルの針の穴に糸を通すような精度で着陸できたのです。
クレーター実験を成功させるためにたくさんの技術を結集
小惑星の表面に人工的にクレーターを作る実験は、2019年4月に行われました。なぜ人工クレーターを作るのか。小惑星は生野菜に近いと言いましたが、太陽光を浴びていますし、宇宙線も常に当たっています。表面の物質は、やはり変質しているはずです。そこで穴を掘って、そこから物質を採れば、よりフレッシュな物が採れるだろう、ということで人工クレーター実験を計画したのです。これは、はやぶさもやったことがない新たな挑戦でした。
実験では、衝突装置を使います。この装置は円錐形をしていて、その中に爆薬を5kg入れて、底を銅板でふさいでいます。爆薬が爆発すると、お皿のようだった銅板が、徐々に押し出されて丸くなり、最終的に直径12cmぐらいの銅の玉になります。それが、秒速2kmの猛スピードで小惑星の表面にぶつかるのです。
衝突実験がうまくいったかどうかをどのように確認するか。はやぶさ2が、近くにいると、爆薬の破片が飛んできてぶつかって壊れてしまう恐れがあります。そこで、プロジェクトチームは、分離カメラをリュウグウの上空に残し、はやぶさ2本体はリュウグウの陰に隠れる、逃げるというミッションを考えました。カメラは缶ジュースぐらいの小さなもので、それを残して衝突の様子を撮ってもらおうというものでした。
はやぶさ2は、リュウグウ上空500mで衝突装置を切り離します。そこから爆発までは40分あります。その間に、はやぶさ2は分離カメラ「DCAM3」を切り離し、一目散にリュウグウの裏へ逃げます。そして、一人でリュウグウの上空に残ったDCAM3が、爆発を見ることになりました。そして、実験も撮影も大成功でした。直径14.5mの半円形のクレーターができ、その様子を撮影することもできました。
はやぶさ2の隠れたエピソードをご紹介したいと思います。この実験成功の立役者の一人が、飯島祐一さんです。飯島さんは、はやぶさ2のプロジェクトをまとめるために、非常に尽力された方です。彼は、はやぶさ2の開発段階で、「科学者を応援に付けなければ、このプロジェクトはうまくいかない」と気が付いたのです。
飯島さんは、日本中の惑星科学の専門家を口説いて回り、はやぶさ2のサイエンスチームを組織しました。さらに衝突実験を撮影する分離カメラの性能向上にも奔走しました。当初は、アナログのカメラだけを載せる予定でした。衝突装置が稼働したかどうかだけを撮影するのであれば、画像が写ればいいので軽いアナログカメラで十分でした。しかし、そのデータでは、科学的成果としては足りません。そこで、飯島さんは「デジタルも載せるべきだ」と主張したのです。その結果、デジタルカメラが非常に鮮明な噴出のシーンをとらえることができました。驚くほど鮮明が画像でした。
飯島さんは、はやぶさ2の打ち上げを見ることなく亡くなりました。がんのため、2012年に亡くなられました。飯島さんのおかげで素晴らしい成果を上げられたということで、クレーターに残された一番左の岩に「イイジマ岩」という名前が付けられました。
もう一人、物質を採取する装置の開発メンバー、岡本千里さんという女性研究者も打ち上げ前に病に倒れ、結果を見ることができませんでした。もう一つの岩にはオカモト岩という名前が付きました。2人ともリュウグウに名前が残ることになりました。
もう1つのエピソードが、宇宙科学研究所の國中均所長が、クレーターができた場所への二回目の着陸をしないで帰ってこないかと提案したということです。
せっかく見事なクレーターができたのに、なぜ止めようとしたのでしょうか。それは、1回目の着陸に成功し、はやぶさ2には、リュウグウのお宝、サンプルが入っている可能性があるからでした。もし2回目の着陸で失敗し、壊れて地球に帰ってこられなかったら、大損失になる。だから、國中さんは「2回目の着陸はやめて、帰ってきませんか」と動議を出したのです。
プロジェクトメンバーからすると、ここまで頑張って、きれいなクレーターも作って、フレッシュな物質、人類の誰も手にしたことがない物が手に入りそうなのに、そこで帰るわけにはいかないという場面です。彼らは頑張りました。10万回ものシミュレーションを重ね、「それでは墜落するんじゃないの?」とお互いに批判し合いながら、「これならいける」という結論にたどり着き、國中さんを説得することもできたのです。それができた陰にあったのが、真剣勝負の訓練でした。
辛くて大変な訓練を乗り越えて
プロジェクトチームはリュウグウに着く前に、はやぶさ2のシミュレーターを自作しました。はやぶさ2と同じような電気信号のやりとりができるものです。着陸など本番さながらのシミュレーションも50回近く実施しました。最初は全然うまくいかず、21回も墜落したそうです。そこで、いろいろな知見、経験を積み重ねて、成功を引き寄せたわけです。
リュウグウにいるはやぶさ2とのやりとりには40分かかると言いましたが、その場ですぐ知ることのできる情報があるのであれば、人間は知りたくなるものではないでしょうか。しかし、本番では知ることができない。そうした「じりじりした思い」「待つ気持ち」を学ぶために、わざわざ40分間、データをためる装置を開発したそうです。「訓練のほうがきつかった」というくらいの訓練を積み重ねた結果、運用がうまくいったといえます。これも、はやぶさ2成功で欠かすことのできないエピソードです。
失敗は成功のもとということもありました。はやぶさ2は、クレーターの周りに降り積もった内部の物質を採取しようと2回目の着陸で目指していました。初めは、クレーター南側のエリア(S)に平らな場所がありそうだったため、そちらへ着陸する計画でした。ただし、内部の物質がたくさん降り積もっていそうなのは北側(C)でした。しかし、北側は平らなのかどうかはっきりしないし岩も多そう。だから、南側でも仕方がないと考えられていました。
ある日、リュウグウに近づく運用をしたとき、途中でセンサーがおかしくなって、急上昇しました。その運用は失敗だったのですが、カメラチームが気を回して、シャッターを切り続けように仕組んでおいたのです。そのとき、はやぶさ2がたまたま北側の領域の上空を通り過ぎ、Cの写真を撮ることができました。その画像をよく調べると、平らそうなところがあったのです。そして、北側を狙って2回目の着陸をすることになりました。2回目はわずか60cmのずれ、1回目よりもさらに精度良く着陸できました。
2回目は、1回目よりも条件は悪い状態でした。1回目の着陸のときに紙吹雪のように物質が舞い上がり、そのちりでカメラが曇っていたのです。このため、より低い高度まで降りて、そこから自動運転に入るという危険が増す条件だったのですが、よりよい精度で着陸したことは、取材している私たちにとっては驚きでした。
チーム1人1人の力が合わさったからこそつかめたプロジェクトの成功
リュウグウという名前は、プロジェクトチームが付けたものです。浦島太郎の竜宮城にちなんだ名前です。浦島太郎は竜宮城から玉手箱を持ってきて、それを開いておじいさんになってしまうストーリーですが、はやぶさ2のカプセルにお宝を入れて持って帰るということで、同じイメージだと選ばれたそうです。
リュウグウが分類されるC型小惑星という小惑星の岩石には、水が多く含んでいるのではないかと思われており、地球の海というイメージにもつながりますから、この名前は名案だったと思います。彼らは小惑星にいろんな地名を付けています。ウラシマとか、モモタロウクレーターとか。やはり、浦島太郎の竜宮城にちなんだ名前を付けています。
プロジェクトマネジャーの津田さんも記者会見でよく話していますが、成功の原動力は「チームワークの良さ」があったからということが大きかったと思います。リュウグウを出発するとき、あるプロジェクトのメンバーが、「はやぶさ2は、みんなが『自分がいなければ成功しなかった』と思えるプロジェクトだよな」と言ったそうです。1人1人がミッションを担い、1人1人が考えて動ける、そういったチームになっていったということではないでしょうか。
はやぶさのときは、川口淳一郎さんがプロジェクトマネージャーでした。彼は本当に頭がよくて、彼の頭のなかにすべてが入っていて、彼の言うことを聞いておけばいい、そういうミッションだったようです。今回は、津田さんが2015年、39歳の若さでプロジェクトマネージャーに就任しました。みんなの意見を聞いて、お互いに批判し合いながら、議論し合いながら進めていこう。そのほうが着実に成功を引き寄せることができる。そう考えたチームづくりがうまくいったのだと思います。
そしてはやぶさ2は次の旅へ
はやぶさ2は次の旅へ向かいます。エンジンも健全で、燃料もたくさん残っていますので、次の小惑星を目指すことが可能になりました。この小惑星は、リュウグウやイトカワのように、地球と火星の間にある小惑星ですが、直径30mしかありません。そして自転周期が10分、くるくる回っている珍しい天体です。そういう天体は、人類の誰も見たことありませんので、楽しみではありませんか。
こういう小さな天体は、6600万年前に地球にぶつかって恐竜が絶滅するきっかけになりました。そういった脅威になる可能性もある天体です。しっかり調べることで、将来の地球防衛につながるかもしれない期待があります。到着は2031年、あと11年ですから、首を長くして待ちたいと思います。
はやぶさ2の旅は、続いています。それも、リュウグウ探査の旅がまだ続いていることを、最後にご紹介したいと思います。
ある研究者が、リュウグウの砂粒は西遊記のお経と一緒なんだと話しました。西遊記は、孫悟空たちの冒険物語です。途中に妖怪が出てきたり、お釈迦様に説教されたり。その冒険が面白くて、わくわくします。しかし、彼らの本当の目的は天竺のありがたいお経。大事なのはお経なのです。はやぶさ2も、リュウグウでのミッションはものすごく大変で、頑張りました。私たちもわくわくどきどきしましたけれど、大事なのは持って帰ってきたリュウグウの砂粒が何を語ってくれるかということです。
はやぶさ2の小惑星探査は今も続いています。リュウグウの砂粒の解析はこれから始まります。来年6月から始まります。論文がまとまれば、太陽系が生まれたころの様子や、私たちの命の材料や海の材料はどんなものだったかが分かるかもしれません。はやぶさ2のお土産からどんなことが分かるのか、ぜひ楽しみにしていただきたいと思います。
質疑応答
男性A「はやぶさのときは、最後に地球の写真が送られてきましたが、はやぶさ2は撮りましたか?」
永山氏「撮りましたが、普通の地球の写真で、あまり感動する写真ではなかったかもしれませんね。」
男性B「前人未到のプロジェクトに、マネジメントとしてすごく困難なことがあったと思います。全員でまとまってやっていく、そのマネジメントの工夫や手法をどのようにしましたか?」
永山氏「こういうプロジェクトだからかもしれないですが、目的が非常に明確です。1つの目標を達成するために自分たちが何をすべきか、何をできるか、お互いにコミュニケーションを取ることで、分かっていたのだと思います。彼らは事前の訓練を本気でやっていました。たとえば、運用は、着陸する前日、24時間前からスタートします。訓練でも、24時間体制の訓練をしています。いったん帰ったメンバーが、訓練なのに「不具合が起きた」と呼び戻されることがあったそうです。そのような訓練での反応や対応で、その人の得手不得手が、よく見えてきたところがあったようです。さらに、若手が上の人に対して臆せず意見を言える雰囲気づくりができていて、結果として、議論が活性化しうまくいった面があったのだと思います。」
男性C「今後、はやぶさ3があり得ると思いますか? あるとしたら、目指す惑星や意義はどんなものになるでしょうか?」
永山氏「はやぶさ3については、JAXAで内々に検討が始まっています。どんなサンプルの採取の仕方があるか、もっと違う採り方があるのか、そういった検討が始まっているようです。今度は科学ミッション、エンジニアリングとしてのミッションではなく、科学探査として実施されるのではないかと思います。イトカワが、岩石質のS型の小惑星で、S型とリュウグウのC型に行ったので、今度は違う型の小惑星を目指していくことになるのではと思います。」
男性C「サイエンスの側の方々を納得させるために、渡邊先生を三顧の礼でお迎えしたと聞いています。そのあたりのエピソードをお聞かせください。」
永山氏「渡邊先生は、当時、日本惑星科学会の会長をされていました。その立場からすると、工学が先行してプロジェクトを進めている状況に対して、科学者側として一言申し上げたい立場でいらっしゃったと聞きました。プロジェクトの科学的価値を高めるためには、日本惑星科学会が協力してくれなければ意味がないと、飯島さんやJAXAの人たちが渡邊先生を説得し、プロジェクトサイエンティストという、サイエンスチームのトップになりました。カプセルが帰ってきたあとの記者会見で、渡邊先生が素晴らしい笑顔を見せる様子を見て、このプロジェクトが良いチームになってよかったなと思いました。」
男性D「写真は何枚くらい送ってくるものなのですか?」
永山氏「私も聞いてみたいです。常にものすごい数を撮影しています。写真を撮るには、カメラを小惑星に向けないといけないため、運用も複雑になるそうです。はやぶさ2の運転手役のスーパーバイザーたちが、日々の運用を取り仕切っていますが、あまり複雑なことをやるとトラブルのもとになるため、あまりやりたくないというのが本音だそうです。その中で、スーパーバイザーの細田聡史さんは、サイエンスのチームに写真をいっぱい撮らせてあげようと、「最多写真賞」というような賞をもらったそうです。それくらいの写真を撮っているようですから、今度カメラ担当の先生に聞いてみたいと思います。」
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開催スケジュール SCHEDULE
2024年12月21日 開催
崖っぷちのSDGsを救えるか~若者たちの挑戦に学ぶ~
- 日時
- 2024年12月21日[開始時刻]15:00[開始時刻]14:30
- 会場
- 毎日江﨑ビル9F 江﨑ホール
- WEB配信
- WEB配信あり
2024年カリキュラム CURRICULUM
タイトル 講師
01/13新春!日本の政治展望前田浩智 氏
02/24ロシアはどこへ行くのか大木俊治 氏
03/013月は休講となります。
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04/06現地で6年半暮らした元エルサレム特派員が語るイスラエル・パレスチナ紛争の本質大治朋子 氏
05/18日韓関係の改善は本物なのか澤田克己 氏
06/15宗教と政治を考える坂口裕彦 氏
タイトル 講師
07/13揺れる価値観 パリ五輪を展望岩壁峻 氏
08/10民間人空襲被害者たちの戦後史栗原俊雄 氏
09/21日本の教育課題
この30年を振り返りながら澤圭一郎 氏
10/26毎年恒例!数独の世界
『数独国際大会の裏側』
『「数独の凡」脱出-続編』【数独協会】森西亨太 氏 / 後藤好文 氏
11/16米国大統領選後の日本と世界及川正也 氏
12/21崖っぷちのSDGsを救えるか~若者たちの挑戦に学ぶ~永山悦子 氏