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科学のミカタ ~ノーベル賞からブラックホールまで~
2019年09月28日
元村 有希子 氏
毎日新聞 論説委員
1989年毎日新聞社入社。2001年科学環境部。科学環境部長を経て、2019年から論説委員。日本の科学技術の現状を掘り下げた「理系白書」で2006年の科学ジャーナリスト大賞。著書に「科学のミカタ」「気になる科学」「理系思考」など。テレビ出演、授業、講演多数。
研究者の後悔から始まったノーベル賞。
「科学のミカタ」は私が出した本で、タイトルにはふたつの意味を込めています。ひとつは正義の味方の「ミカタ」。最新の科学情報だけでなく、それが日本や世界の将来に与える影響まで踏み込んで書いています。
もうひとつは、科学とどう向き合うかという「見方」。ノーベル賞は「めでたい見方」です。今年は日本人がノーベル賞を取るでしょうか。記者たちはそれを願って準備を怠らず、今も日々取材をしています。
科学記者の日頃の仕事は、たとえば役立つ技術や難病の治療法などについての論文発表や、「こんな研究をやっている人がいる」、「動物にこんな生態があった」と、ちょっとほっとする話題も取材し紹介しています。科学事件も扱います。研究・実験結果のごまかしや、他人の論文の盗用、研究費の不正な使い方、最近は研究者同士のパワハラやアカハラの問題も増えました。
今日は時期的にノーベル賞の話を中心にご紹介しようかと思います。
アルフレッド・ノーベルが発明したダイナマイトは便利な一方で、兵器として戦争に利用され多くの人が亡くなりました。そのことを悔やんだノーベルは、莫大な遺産を「世界を良くする研究や成果をあげた人に」という遺言を残したことから1900年にノーベル賞が創設されます。そして物理学、化学、医学生理学、文学、平和の各賞の他、1969年には経済学賞も新設されました。
日本人最初の受賞者は1949年の湯川秀樹さんです。理論物理学での受賞でした。以来、昨年までの受賞者は、自然科学の3賞で23人。特に2001年から2018年までは18人と急増しました。1970~80年代に科学者になった人たちが業績を上げ、今評価されているのです。
実績を上げてから受賞までの時間が長く、日本人最長は南部陽一郎さんの50年。最短はiPS細胞の山中伸弥さんで6年。平均で20年程かかります。亡くなった方には贈られませんから、ノーベル賞を目指すなら長生きも大切です。
日本の受賞者はすべて男性。日本の女性研究者は科学の世界では影が薄く、80万人と言われる研究者の中で女性割合は残念ながら15%に過ぎません。世界的にも同様で全受賞者935人中、女性は50人。自然科学に限るとさらにわずかです。
「おもしろい」から、画期的な成果が生まれる基礎研究。
2016年にノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典先生は、私にとって思い出深いのでお話しします。
あるとき、酵母菌を顕微鏡で観察していた大隅先生は、細胞内で出る老廃物が膜に包まれてひとつにまとめられているという現象を発見して興味をもち、研究に没頭します。この段階では特別な目論見はなく、おもしろいから研究を続けます。するとある器官が細胞のゴミを取り込み、リサイクルしてエネルギーを生んでいることを突き止めました。
私たちの体は30数兆個もの細胞でできています。今こうしている間にも、皆さんの細胞の中では出たゴミが溜まらないようにする仕組みが働いています。「オートファジー」と呼ばれるこの現象のメカニズムを、先生は明らかにしたのです。
研究のスタートは1990年代。私が初めて取材したのは成果が出始めた頃の2004年。いつかノーベル賞が取れるといいなと思っていたら、見事に受賞しました。おもしろいと思った人をずっとウォッチし、研究に加え生い立ちや情熱、失敗談も聞き、原稿を書き貯め、もしノーベル賞を取れば原稿が生きる。記者冥利に尽きます。
21世紀に入ると、オートファジーは肥満や老化、さまざまな病気にかかわっていると考えられるようになり、多様な分野の人が研究を始めます。たとえばβアミロイドという老廃物が脳細胞に溜まって発症すると言われるアルツハイマー型認知症は、オートファジーの仕組みをうまく生かして防げるかもしれないと考えられているのです。
科学とは、最初から「こんなものを発見しよう」と始めるのではなく、偶然見つけた現象や、研究者がおもしろいと思ったことをきっかけに、それがやがて思いがけない成果に繋がるケースが多いのです。ノーベル賞も基礎的な研究から発展するものばかりです。
しかし財政的に厳しい今の日本ではリターンが期待できる研究に投資が偏り、基礎研究は軽視されがちです。それでは毎年のようにノーベル賞をもらう今の勢いが失われる。そこを理解する政治家が増えてくれれば良いなと思います。
今年のノーベル賞予想は? 受賞者共通の資質とは?
今年は誰が受賞するでしょう。国連で環境問題を訴えた16歳のグレタさんが平和賞を取るかもしれません。日本では、繰り返し充電でき、携帯やパソコン、電気自動車でも役立っているリチウムイオン電池を開発した吉野彰さんに注目です。日本人科学者がかなり貢献している分野です。期待が持てると、私は心の準備をしています。
今年4月に人類史上初めて撮影に成功したブラックホールも素晴らしい成果ですが、ノーベル賞の仕組み上、毎年1月末が締め切りですから、受賞するとすれば来年。日本の研究チームを束ねていた国立天文台の本間希樹先生が物理学賞に輝くかもしれません。
受賞者は皆とてもおもしろい人たちです。研究へのこだわりには大変なものがあり、個性的です。世間では他人と違うことをするのに抵抗を感じるものですが、研究者は他人と違ってナンボと思っている人が多い。だから大外れもあり孤独も感じるでしょうが、それでもブレずにとことんやる。研究者に共通の資質です。
青色発光ダイオードを発明して受賞した3名の日本人も個性的です。失敗を怖がらず、皆がやる方法はあえて選ばない。まったく何もないところ、ゼロから何かを生み出す才能には驚かされます。
失敗や弱点から、そこに潜む成功の種を発見する。
たんぱく質の精密な分析法を開発して2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんも根気強い人で、失敗から大成功を導きました。実験中に試薬を誤って混ぜてしまった材料を、「捨てるのはもったいないから」と試してみたらビンゴ! 運もありますが、失敗作を捨てずに使おうと考えるのが他の人との違いです。
彼は現在でも、20年掛かりで夢を実現しようとしています。それは、たとえば薬局の窓口で指先からわずかな血液を採取して機械にかけると「数値が高い、ガンがあるかも」と診断ができる機械の開発。すでに一部が実現し始めています。夢を持ち続けると何かが動き出すということかもしれません。
iPS細胞で有名な山中伸弥さんは整形外科医でしたが、手術が下手で、皆から「ヤマナカ」ではなく「ジャマナカ」と言われていたそうです。でも腐らない。それならと手術をしないで済む基礎研究に切り替え、花を咲かせました。自分の欠点を強みに変えた。学ぶべき点です。また、若くしてノーベル賞をもらうと、その後も長く頑張れますから、ノーベル賞はやはり若いうちにあげてほしいものです。
ここで皆さんに覚えてほしい言葉があります。「失敗は成功の母」と言いますが、一見まずいこと、失敗、悲しみ、悔しさなどから、そこに潜む成功の種を見つける能力「セレンディピティ」。多くの分野で活かせる考え方のため、この言葉を使う人が増えています。パスツールの名言「チャンスはよく準備された心にのみ微笑む」と同じです。
田中耕一さんが実験のミスを大発見に活かせたのも、虫の知らせみたいなものを感じ取る心の準備があったからだと思います。
3度ノーベル賞に貢献した浜松ホトニクス。
静岡では浜松ホトニクスという会社がノーベル賞に3度関わっています。2002年と2015年の物理学賞を導いた素粒子の実験装置では、超高性能なセンサーを同社が開発しました。装置を構想したのは物理学者の小柴昌俊さん。「こんな装置があれば」と相談された浜ホトは、本業と違ってもうかる仕事ではないのに開発に協力、その結果がノーベル賞に結びつきました。
2013年の物理学賞にも浜ホトの技術が貢献しました。目に見えないような素粒子を観察するための巨大装置。その心臓部分のセンサーに同社の技術が活かされ、それによってイギリスの研究者が「神の粒子」と呼ばれるヒッグス粒子の存在を確認、ノーベル賞となりました。
浜ホト自体はノーベル賞をもらえませんが、世界に知られる一流企業となり、開発の過程で技術者は技術レベルを上げますから、人材育成の点からも意義深いと思います。このように頭脳と技術が融合して初めて、ノーベル賞を取るような科学的発展が生まれるのです。
科学をめぐる問題。現実化するSF映画のような出来事。
それをどう考えるかも、科学のミカタ。
エイズウイルス感染者であるお父さんと健康なお母さんの受精卵に、「ゲノム編集」という技術を加え、エイズウイルスに感染しない赤ちゃんが中国で産まれました。病気を防ぐ点では患者さんの思いに応えたかもしれませんが、批判が出ました。
遺伝子を人が操作することの倫理的な問題、それは神様の仕事だという宗教的問題、さらに人体実験だという批判。また、さまざまな動物実験を重ねてメリットしかないことを確かめた上で適用すべきなのに、そうした過程を踏んでおらず、予想外の副作用や病気を招く可能性もあります。
この先に何があるかと考えると……頭のいい子にしたい、足が速い子にしたい、目の色を青く、鼻は高く……そういうデザイナーベビーにつながりかねません。20年前ならSF映画の世界が今は現実になりつつあります。日本にもこの技術は入っています。最近はトマトの品種改良にゲノム編集を使い、脳に良い物質を多く含んだトマトができました。頭が良くなるというわけです。
たまたま大きくなった実を株分けして育て、地道に増やしていくという偶然性に頼る従来の品種改良と異なり、ピンポイントで「傷みにくい」「栄養豊富」「身が多い」などの食品を作れる。実用化はもう目の前です。
しかも市場に出す時、「ゲノム編集した」と表示しなくても良いという方針が最近決まりました。遺伝子組み換え作物は一定の表示義務がありますが、ゲノム編集は別の遺伝子を加えるわけではなく自然な品種改良と同じだから表示不要、というのが政府の見解。もちろん批判が出ています。
世論調査によると「科学が発展すると心配なこと」の3番目に遺伝子組み換えの不安が、4番目にクローン人間が挙げられています。科学がもたらす便利は否定しなくても、「そこまでの進展は望んでいない」という声は少なくないのです。
最近、サウジアラビアの石油施設をドローンが攻撃しました。GPSを使い自分の能力で目的地まで行く無人機。人工知能などの技術が兵器利用され始めているのです。日本は戦争をしないと決めている国なので表向き、兵器産業は存在しません。ただ、日本の技術が海外で兵器に形を変えることは十分あり得る。それをどう考えるかも「科学のミカタ」です。
人工知能や廃プラなどあらゆる問題解決は科学+さまざまな分野の協力あってこそ。
日本は少子高齢化、世界を見れば国際情勢不安、わがままな首脳の感情任せな発言、地球環境も楽観できる状況ではありません。現代が抱える問題は、科学技術だけでは手に負えず、政治経済など多様な分野が力を合わせないと解決できません。
私は科学記者として、各分野が協力して解決すべき大きなテーマが4つあると思っています。人工知能。生命倫理。温暖化。そしてプラスチックなどの廃棄物問題。いずれも誰か1人か画期的な発明をして解決できるという話ではなく、皆が問題意識を持って関わる必要があります。
人工知能に関しては、発達しすぎて人間の能力を超えるのではないかと言われる、いわゆる「2045年問題」が話題です。人工知能の普及のかげで、働きたくても働けなくなる人が増える心配もあります。人口が減り人手不足が深刻化する日本にとってはちょうどいいという考えもありますが、奪われやすい職業の人たちの生活保障もあり、そんな単純な話ではありません。
しかし人工知能の専門家に話を聞くと、多くが楽観的です。私の信頼できる研究者の友人も、人間が制御できるという立場です。研究者に任せて、気づいたら人工知能に支配されているのだけは避けたいものです。
プラスチックゴミは今に始まった話ではなく、戦後から徐々に増えてきています。70年代末には店頭などで配られるポリ袋の数が紙袋を上回っており、今の状況は時間の問題だったわけです。つまり対処が遅すぎた。プラスチックゴミの半分は、1回使用されただけで捨てられる使い捨てです。使用後の分別回収に熱心な日本でも、一人当たりの使い捨てプラスチック消費量は、アメリカに次いで世界2位です。
コンビニがこんなに多い国はなく、どんなに熱心にレジ袋を回収、分別しても、どうしても海や川へ出てしまう。そして分解されませんから、やがて食物連鎖の中で人間に影響すると言われています。
進むレジ袋有料化の動きを契機に、身の回りを考えていただければと思います。使い捨てプラスチックの中でレジ袋が占める割合はわずか2%。レジ袋がなくなっても問題は解決しませんが、残り98%をどうするか、問題意識を持つ機会にはなります。
イエス・ノーを考える癖をつけ、科学技術と向き合って。
科学の成果は科学者によって生み出されますが、それが社会で使われる過程で起きてくる、もはや科学者だけで解決できない問題を「トランスサイエンス」と言います。原子力がまさにそう。あんな壊滅的な事故が起きたからといって、核分裂を発見した科学者に責任を押しつけてよしとするわけにはいかない。いろいろな仕組み、システム、安全神話も含めて多くの人が防ぐ力になるべきだったし、今後も皆で考えなければなりません。
皆さんもそうしたことを頭の隅に置きながら科学技術と向き合ってください。日本はとりわけ文系・理系に分ける文化が強いです。西洋でも、人文科学と自然科学がお互いに敵対視することは利益にならない、という指摘がすでに60年前にありました。そんな状況ではトランスサイエンスを解決できません。
いろいろな要素が複雑に絡み合う世の中では、誰一人欠けてもうまくいかないことがよくあります。そこを意識して、皆さんも意見を言えることを覚えておいてください。大学での研究費は皆さんの税金から出ています。企業の研究費は皆さんが買い物で払ったお金から捻出されています。ですから私たちは意見を言えるんです。それこそが「科学のミカタ」。
科学を全部信じるのでも、全否定するのでもなく、皆さんの見方でそれらを上手に取り込み、イエス・ノーを考える癖を付けると、世の中はもっと良くなると思います。
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開催スケジュール SCHEDULE
2024年12月21日 開催
崖っぷちのSDGsを救えるか~若者たちの挑戦に学ぶ~
- 日時
- 2024年12月21日[開始時刻]15:00[開始時刻]14:30
- 会場
- 毎日江﨑ビル9F 江﨑ホール
- WEB配信
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02/24ロシアはどこへ行くのか大木俊治 氏
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