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核兵器の非人道性を問う
2022.8.20
広岩近広 氏
毎日新聞社 客員編集委員
1975年入社。大阪社会部や「サンデー毎日」編集部で事件と調査報道に携わる。大阪本社編集局次長を経て平和報道担当の専門編集委員に就任し、原爆や戦争をテーマに取材執筆、大阪本社の朝刊で「平和をたずねて」を長期連載した。2016年から客員編集委員として現在、毎日新聞のニュースサイトで「社史に人あり」を連載中。主な単著に「被爆アオギリと生きる」(岩波ジュニア新書)「核を葬れ!」(藤原書店)「シベリア出兵」(花伝者)「今、死のありさま」(毎日新聞社)。
核の抑止と拡大抑止
今年の広島、長崎の原爆の日、そして8月15日の終戦の日は、重苦しい気分が漂っていました。ロシアがウクライナに軍事侵攻をしたからです。さらにプーチン大統領は、NATOの国々がウクライナに加担すれば、核兵器の使用も辞さないと脅しをかけてきました。大国が核を脅しに使うのは、今までなかったことです。それに対してポーランドの元外相は、西側諸国は自主独立を守るために、ウクライナに核弾頭を提供する権利があると発言しました。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、今後10年間で核兵器備蓄の増加が予測されると発表しました。にわかに核の問題がクローズアップされ、新聞や他のメディアでもさまざまに論じられるようになりました。
そのうちの一つが「核の抑止」です。核兵器を持つことで、相手の国に攻撃を思いとどまらせることができるという考え方で、核の保有を正当化するものです。また、5月23日の日米首脳会談では、「拡大抑止」を強化していこうと話し合われました。核を持っているアメリカが、同盟国日本に対する攻撃はアメリカへの攻撃と見なすことによって、戦争を抑止するというのです。核の抑止を同盟国にも拡大し、日本はアメリカの核の傘で守られることを強化していくことになりました。
もう一つは「核の共有」です。ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコというNATO加盟国に、アメリカが管理する核兵器が100発保管されていて、有事の際には使用できます。それぞれの国に核を置いて共有し、核の傘を広げているのです。新しくNATOへの加盟を希望しているフィンランドとスウェーデンは、今後、NATOの核の傘に入るとみられています。ロシアは対抗して、ベラルーシに核を配備する考えを示しました。
日本では、故安倍晋三元首相が生前、アメリカの核兵器を日本に配備して共同運営する政策を論議してもいいのではないかと発言しました。日本維新の会も、核の共有を議論することは大事ではないかとしました。しかし日本は「持たない、作らない、持ち込ませない」という非核三原則があるので、今のところ必要としないという見解を出しています。ただ拡大抑止、アメリカとの同盟による核の傘は大事にしていこうというスタンスです。
国連のグテーレス事務総長は、長崎での原爆式典で、ロシアによるウクライナ侵攻は、私たち人類が滅亡まであと一歩のところにいることを思い出させると話しました。核が安全を保証してくれる核抑止という考え方は誤っています。真の安全保証は、決して核兵器によって達成されることはありません。対話による交渉や相互の尊重、国際法の遵守によって達成されるのです。核のない世界になることで核の驚異を終わらせるのです。
相対性理論からマンハッタン計画へ
放射線がウラン鉱石から出ていることを発見したのはキュリー夫妻です。その後、アインシュタインが相対性理論を発表しました。原子核などで得る物質の質量に、真空中の光の速さの2乗をかけたものが巨大エネルギーになる、つまり核分裂は巨大エネルギーになるというのが相対性理論で、ドイツの物理学者オットー・ハーンらが、実際に核分裂で莫大なエネルギーが出ることを突き止めました。核兵器の核分裂は、質量の重いウラン235やプルトニウム265に中性子を当てることで起こります。分裂後にできた中性子がまた核に当たるという連鎖反応で次々と核分裂を起こし、巨大な爆発的エネルギーが生まれ、原子爆弾になるのです。
オットー・ハーンがこの発見をしたのは、ナチスドイツがオーストリアを併合し、第2次世界大戦が始まる時代でした。ユダヤ人物理学者たちは、アメリカが先駆けて原子爆弾を開発し、ナチスドイツの原爆使用を牽制すべきだと書いた手紙をルーズベルト大統領に渡しました。これによってルーズベルトは核開発に乗り出し、マンハッタン計画が一気に進み、ウランを使う広島型と、プルトニウムに使う長崎型の原子爆弾ができました。なぜ2つとも落としたのか。ウランとプルトニウムの原子爆弾を比べるという実験的な意味があったのでしょう。
原子爆弾が落とされた広島と長崎
爆心地近くの温度は3,000度から4,000度。鉄が溶ける温度の倍です。半径3キロメートル以内の建物は爆風と熱線で倒され、焼き尽くされ、強い放射能が残りました。この年の12月までに、広島で14万人、長崎で7万人が死亡しました。放射線には急性障害と晩発性障害があります。1ヶ月以内の脱毛や火傷が急性で、白血病や各種のがんが晩発性です。大量破壊と大量殺りくが、瞬時かつ無差別に引き起こされるうえ、放射線による障害がその後長期間にわたって人々を苦しめるのが原子爆弾による被害です。
被爆した人たちはどうなったのでしょう。新劇俳優の丸山定夫さんは、移動演劇の桜隊を率いていましたが、広島の爆心地から750メートルの寮にいたときに被爆しました。広島から宮島へ連れてこられた丸山さんの顔は火照っていて、井戸水を頭から被って、熱い熱いと呻いていたそうです。8月15日に戦争が終わったとき、本当に大好きな芝居ができる世の中になったと声を振り絞って喜んでいましたが、16日、午後9時半に亡くなりました。女優の仲みどりさんは、東京にたどり着き、東大病院に入院しました。被災から2週間目に髪が抜け始め、傷が化膿するようになります。血液検査をしたところ免疫を司る白血球が異常に少なくなっていました。原爆の放射線は血液を作る骨髄を殺してしまいます。仲さんは8月24日に亡くなりました。原子爆弾症として診断された第一号患者です。
広島市内では、激痛と血便という赤痢と同じ症状の患者が何万人も発生しました。吉田寛一医師は、設備がないので精密検査はできない、この症状が新型爆弾による影響なら国からの援助があるはずだからカルテに赤痢と書くことはできない、と言ったそうです。吉田医師自身も爆心地から800メートルの自宅で被爆していて、9月3日に亡くなりました。
爆心地から1.6キロメートルの広島赤十字病院では、火傷や外傷のない患者が下痢、血便、脱毛、皮下溢血といった症状になり、次々と亡くなっていきました。京都大学医学部病理学教室の杉山教授が、初めて被爆者の病理解剖を行いました。すると胃、小腸、大腸、腎臓、口のなかなど全身のあらゆる臓器から出血していました。物理学教室の荒川教授は、広島市内の土壌から放射線が出ていることを突き止めました。原爆が核分裂したときの放射線だけではなく、中性子による誘導放射線が土壌などから出ていることがわかったのです。
長崎では永井隆博士が、原爆で奥様を亡くされたにもかかわらず一生懸命治療にあたり、浦上(うらがみ)の聖者と呼ばれていました。苦しみながら次々と亡くなる人を前に「人の道に外れている」と言いました。残留放射能のために生活不能の問題も論じられるようになりました。浦上第一病院院長の秋月辰一郎医師にも為す術がありませんでした。次々に死んでいく人たちが今日、明日と円のように広がっていくのを見て、死の同心円、魔の同心円と呼びました。この悲惨を予期しながら、あえて原爆を落とした人間の心の恐ろしさに言及しています。
生涯つづく被爆の苦しみ
被爆の初期症状は脱毛、皮下出血、口や喉の腫れです。被爆してから30日くらいで40パーセントの方が亡くなります。生き残っても放射線の障害はその後、何十年にも渡り、がんという形で現れます。
鎌田七男先生は広島大学医学部名誉教授ですが38年にわたって、1万8千例の被爆者の染色体を解析し、被爆者の染色体には異常が起きていることを突き止めました。被爆者で慢性骨髄性白血病の女性の染色体は、切れて上下が逆転したり、切れたもの同士がつながる転座が起きたりしていました。後に、染色体異常は被曝量に比例することが判明します。放射線で傷ついた染色体ががんを引き起こすのです。被爆した場合は異常が複数あり、次々にがんになるため、多重がんと呼んでいると鎌田先生は話されました。
佐々木禎子さんは、折り鶴の少女像のモデルですが、2歳のときに爆心地から1.7キロのところで被爆し、小学6年生の秋に白血病になり、次の年に亡くなりました。このように原爆の放射線は容赦がないのです。
内部被曝もあります。爆発でできた放射性微粒子が風や雨で落ちてくることを放射性降下物といいます。死の灰です。放射性降下物のついた食べ物や呼吸などで放射線物質を体に取り込んだら、内部から被爆し、少しずつ臓器が壊れ、染色体が壊れてしまうのです。直接爆発したときの被爆だけでなく、残留放射線による外部被曝、残留放射線の微粒子を取り込んでしまった内部被曝と、放射線というのはしぶといのです。長崎大学の七條和子先生は、死後60年の被爆者の臓器標本からα線、放射線が出ていることを発見しました。内部被曝は60年以上立っても、患者の健康に影響を与えるのです。
母親の胎内で被曝した子どもは出生後も死亡率が高いのですが、生存者には原爆小頭症の方がいます。放射線によって頭が小さくなり、知能や身体に障害が残ります。原爆ブラブラ病もあります。体がだるい、熱が出て仰向けで寝ていられないなどの倦怠感の症状です。広島赤十字病院の服部達太郎医師はこのブラブラ病になりました。自分で血液を調べたところ白血球が少ないことがわかり、原爆のような核兵器を使用するのは人道無視もはなはだしいという言葉を残しました。
東神戸診療所の郷地秀夫先生の患者さんには、60年後の今でもこのブラブラ病の症状がありました。郷地先生はこの患者の被爆者健康手帳申請の際に慢性原子爆弾症と書きました。医学的には認められていない名前なので申請は通りませんでしたが、この患者は後にがんを発症し、被爆者健康手帳を手にしています。慢性原子爆弾症によっていつもだるく、だらだらしているように見える患者は、しっかりしようと思ってもできないし、周囲にもわかってもらえないのです。このように慢性原子爆弾症は被爆者の人生を通じて苦しめ続けるわけです。
精神科医の中澤正夫先生は、被爆者の心の傷は人類史上最大の精神的外傷と話していました。普通は直後から回復に向かうが、被爆者の場合はあまりにも悲惨な記憶のため、雷や火花、肉の焼ける匂いなどのちょっとした刺激で、ピカドンや人間の焼ける匂いを思い出し、パニック障害に陥ります。これを繰りかえすのですから、心の傷は癒えようがありません。
核兵器の非人道性
こうした診断、調査の結果、核兵器の非人道性が少しずつ理解されるようになってきました。1963年の東京地裁の判決には、原子爆弾の投下は、戦争には不必要な苦痛を与えるもので、非人道的なものは戦争の手段として禁止されるという国際法上の原則に違反すると書かれています。この裁判は、精神的な苦痛による慰謝料を求めて5人の被爆者が日本政府を訴えたものです。サンフランシスコ講話条約で日本政府が請求権を棄却しているため、アメリカには請求できないからです。
赤十字国際委員会のホームページにも、核兵器は受け入れることのできない人道上の被害をもたらし、人類に脅威を与えると書かれています。1971年には、赤十字国際委員会が「国際人道法」という言葉を初めて提唱しました。長崎大学核兵器廃絶研究センターのホームページには、武力紛争の際、つまり戦争という極限状態でも、人道上これだけは許されないという最低限のルールを集めたのが国際人道法だとしています。
1996年には、国際司法裁判所が核兵器に関する勧告的な意見を出しました。核兵器の使用や核兵器による威嚇は、一般的な武力紛争に適用される国際法、特に人道に関する国際法に違反するということです。現状の国際法を考えると、国家が存亡の危機にあるときの核兵器の使用や威嚇が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論をくだすことができないとしました。
こうした状況のなか2010年のNPT核拡散防止条約の再検討会議で、核兵器はいかなる使用についても破壊的で非人道的な結末に深い懸念という言葉を採択しました。スイスやオーストラリアが働きかけ、国際人道法を、核兵器をなくしていく議論の根幹にしていこうという動きが出てきたのです。この国際会議3回目の2014年にはアメリカ、イギリスも出席し、日本は被爆者を政府代表団に加えて出席しました。
2014年の外相会議では、過去の人道的な問題も取りあげられました。同じ年に日本のNGOが、鎌田先生の講演会を行いました。鎌田先生は、遺伝子に影響を与える放射線の非人道性について話をされました。このなかで、まだがんになっていない被爆者の血液のなかにDNAを傷付ける因子を発見したことを話しました。東海村の臨界事故で被爆した作業員は、妹の骨髄細胞を移植する手術をしました。ところが放射線でDNAを傷つける細胞ができていたために、移植された骨髄細胞も傷つけられてしまったのです。鎌田先生は、この発見を発表するかどうかについて、5年のあいだ悩んだそうです。しかし事実をちゃんと伝えなければ核兵器の非人道性を伝えられないと考えて発表したそうです。
被爆2世の問題もあります。父親の精子の精原細胞のDNAが傷つけられるため、爆心地の近くで被爆した父親の子どもほど白血病を早く発症する例が多いそうです。次の世代にまで影響を与えるわけです。
鎌田先生の患者の初孫が、2001年に白血病で亡くなりました、息子さんは、父親であるその患者さんに病名を知らせませんでした。その患者さんは2007年の末に自ら命を絶ってしまいました。核兵器の非人道性は遺伝子に異常を起こさせるので、その影響は孫の世代にまで及ぶのかと思うと、その苦しみは計り知れません。
鎌田先生は、外務省が行った放射線が人体に与える長期的な、また多方面における影響についての調査、研究の委託研究班のメンバーで、報告書に「一瞬にして臓器の幹細胞ががん化の宿命を負うことで発症すると思われる原爆放射線被ばくによる、将来持続性の健康影響は、原爆の長期的な影響のなかの最たるものである」だから「核兵器の爆発はいかなる状況においても、耐えられない非人道的結末をもたらすことになると結論される」と書きました。
核兵器禁止条約と日本の不参加
NPT(核拡散防止条約)による核軍縮が進まないことに対して、核兵器禁止条約ができました。あらゆる核兵器の開発、実験、所有、使用の禁止で、ロシアのように核で威嚇することも禁じる初の国際条約です。国連加盟国の6割に当たる122の国や地域が賛成して2017年に採択され、去年の1月に発効されました。現代まで62の国や地域が批准していますが、アメリカをはじめ、核を所有する9ヵ国は加盟していません。アメリカは核抑止の考え方を否定しかねないと懸念しているのです。しかし、この条約が生まれたことにはとても大きな意味があります。
この核兵器禁止条約に対する日本の立場について、外務省の見解がホームページに載っています。核兵器を廃絶するという目標は一緒だが、北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手には、通常兵器だけで抑止するのは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有するアメリカの抑止力を維持することが必要である。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、アメリカによる核抑止力の正当性を損ない、国民の生命、財産を危険にさらすことを容認することになりかねず、日本の安全保障にとって問題であるというのが日本の見解です。
核兵器禁止条約は核兵器を保有する国だけでなく、日本と同様に核の脅威にさらされている、核を持っていない国からも支持されておらず、核軍縮に取り組む国際社会に分断をもたらしています。日本は核兵器禁止条約に批准をしませんでした。2022年6月に核兵器禁止条約の締結、批准をしている国の集まった第1回会議がウィーンで開かれました。ドイツやベルギー、NATOに加盟している4ヶ国、太平洋条約機構はオブザーバーとして参加しましたが、日本は参加を見送りました。アメリカの核の傘を弱めることができないからですが、被爆者やNGOはとても残念がっていました。
この第1回締約国会議では、核兵器は破滅的で人道的な影響について対処することができない、核兵器は生命に対する権利の尊重と相容れない、核抑止論について、核を持てば相手の攻撃を思いとどまらせることができる、という地球規模の壊滅的な結果をもたらすリスクを前提にしているのは誤りであるという宣言がでました。これは一つの前進でしょう。
しかし、現実には核兵器の数は増えており、今後10年間、備蓄が増加すると予測されています。ウクライナが攻め込まれたのは核兵器を持っていなかったからだという意見もたくさん聞かれました。核兵器を持つことが平和につながるというのです。これに対して被爆地の広島市長は、世界中で核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考え方が勢いを増しているが、これらは核兵器のない平和な世界の実現を目指す人類の決意に背くことになると訴えました。長崎市長も、持っていても使われないだろうというのは、幻想で期待に過ぎない。存在する限りは使われることになる。核兵器をなくすことは、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければならないと訴えました。日本は核兵器禁止条約に参加していませんが、被爆地の市長は核抑止論に釘を刺しました。
ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーンの国際運営委員で、ピースボート共同代表の川崎哲さんは、締約国会議にオブザーバー参加した国について、オランダは国会の多数決によって政府の参加を決議したが、政府は乗り気ではなかったと話しています。オランダは国民から選出された国会議員がオブザーバー参加を決めました。オーストラリアは5月に労働党政権になり、就任した首相は党内でも核兵器禁止条約を支持していたため、自身の意思としてオブザーバー参加したそうです。オーストラリアは近い将来、アメリカの核の傘から出て、核兵器禁止条約を批准するのではないかと期待されています。やはり、核兵器をなくさなければという一人一人の意思が大事なのではないでしょうか。
明治期の思想家で自由民権論者の中江兆民は、戦争を始めるのは戦争が好きだからではなくて、戦争を恐れているためだといっています。相手を恐れて競争のように軍備を整え、お互いがノイローゼになってエスカレートしていく。そこに新聞が実情とデマを無差別に並べて報道し、世間に広めていく。双方の国はますます錯乱し、先んずれば人を制すと口火を切って開戦に至るというのです。やられる前にやるというのが、今も昔もどこの国も交戦の実情です。新聞も煽りたてるような報道をすべきてはありません。中江兆民の言葉は今起きていることにも当てはまります。核抑止を強めて一時的に平和を勝ち取ったとしても、その先はどうなるか、兆民の至言に耳を傾ければ結果は明らかではないでしょうか
若者たちがつくる核兵器ゼロの未来
日本は今回の締約国会議にオブザーバー参加をしませんでしたが、日本の若者たちはウィーンに行き、高校生平和会議や赤十字国際委員会で交流し、非人道性を語り、核廃絶を訴えていました。8月6日の毎日新聞の余録には、慶應義塾大学学生の高橋悠太さんの活動が載っています。高橋さんは、生前の坪井直さん(元広島県被団協理事長)の話に心を動かされ、他の学生たちと核兵器廃絶に向けた行動を起こしました。核兵器があれば相互不信がつのると指摘しています。朝日新聞の社説は、広島出身の奥野華子さんが、環境活動家グレタ・トゥンベリさんに触発され、核戦争は世界の気候を破壊すると訴えているという記事です。
若者たちは環境問題に関心を持ち、共感し得る仲間は世界中にいます。温室効果ガスのゼロと核兵器のゼロを目指すこれからの主役は世界の若者たちです。日本の若者もウィーンでこれだけ活動しています。この活動が世界に広がっていけば、私たちの世代でできなかったことが実現していくのではないでしょうか。若い人たちを応援していきたいと思います。
■スライドで使用した主な資料=広島平和記念資料館「ヒロシマを世界に」▽広島平和記念資料館作成のガイドブック▽広島平和研究所「ヒロシマ」▽鎌田七男著「広島のおばあちゃん」▽郷地秀夫著「被爆者医療から見た原発事故」▽浅井信雄監修「核の世界地図」▽「広島平和記念資料館と戦跡めぐり」▽外務省、広島市、長崎市、赤十字国際委員会、長崎大学核兵器廃絶研究センターなどのホームページ。新聞各紙。
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開催スケジュール SCHEDULE
2024年12月21日 開催
崖っぷちのSDGsを救えるか~若者たちの挑戦に学ぶ~
- 日時
- 2024年12月21日[開始時刻]15:00[開始時刻]14:30
- 会場
- 毎日江﨑ビル9F 江﨑ホール
- WEB配信
- WEB配信あり
2024年カリキュラム CURRICULUM
タイトル 講師
01/13新春!日本の政治展望前田浩智 氏
02/24ロシアはどこへ行くのか大木俊治 氏
03/013月は休講となります。
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04/06現地で6年半暮らした元エルサレム特派員が語るイスラエル・パレスチナ紛争の本質大治朋子 氏
05/18日韓関係の改善は本物なのか澤田克己 氏
06/15宗教と政治を考える坂口裕彦 氏
タイトル 講師
07/13揺れる価値観 パリ五輪を展望岩壁峻 氏
08/10民間人空襲被害者たちの戦後史栗原俊雄 氏
09/21日本の教育課題
この30年を振り返りながら澤圭一郎 氏
10/26毎年恒例!数独の世界
『数独国際大会の裏側』
『「数独の凡」脱出-続編』【数独協会】森西亨太 氏 / 後藤好文 氏
11/16米国大統領選後の日本と世界及川正也 氏
12/21崖っぷちのSDGsを救えるか~若者たちの挑戦に学ぶ~永山悦子 氏